迎えの魔道士。大魔道士エリンゲ、潮鳴りの浜へ

手紙には、浜の名と、ひとつの頼みだけが書かれていた。

――潮鳴りの浜へ。旗を持たぬ旅人が来る。迎えに行け。

差出人の名はなかった。けれど、紙の端に押された古い封蝋を見れば、それで足りた。旅団戦の見届け人を、エリンゲよりずっと長く務めてきた老人の印だ。

大魔道士エリンゲは、手紙を二度読んだ。三度目は読まずに、白い外套の内へしまった。

白い外套をまとい、羅針の紋の本を抱えた大魔道士エリンゲと、灰色の馬
大魔道士エリンゲ。旅団戦の見届け人。

背界は、眠る巨大な竜たちの背に築かれた大地だ。山も森も海も、町も城も、すべては竜の背の上にある。竜は眠っている。千年、一度も目を覚ましていない。

その背の上で、一族と一族が争うとき、決まった作法がある。旅団長戦だ。

互いに一族の中から旅団長を選び、旅団長どうしで決着をつける。旅団長がすべて倒れた側の負け。負けた一族は旗を降ろして勝者へ渡し、勝者の下につく。民は殺さない。一族は滅ぼさない。

見届け人は、その戦いを見守る者だ。どちらの一族にも属さない。だから、旗を持たない。

エリンゲは灰色の馬に鞍を置き、羅針の紋を打った古い本を鞍袋へ入れた。潮鳴りの浜までは、山をふたつ越えて七日かかる。

三日目の朝、峠の下の草原で、ふたつの旅団がにらみ合っていた。

片や、蹄で土を掻くケンタウロスの旅団。片や、穴だらけの丘から顔を出すコボルトの旅団。草原の水場をめぐる、小さな、けれど本気の争いだった。

両軍の旗手が、馬上のエリンゲに気づいた。白い外套は、それだけで見届け人の印になる。

エリンゲは馬を降り、両軍の真ん中に立った。そして、教わったとおりの口上を述べた。

「旅団長戦。この争いは、我らの名にかけて、見守らなければならない」

なぜ「我らの名にかけて」なのか。若いころ、老人に尋ねたことがある。老人は少し笑って、「続きの言葉は、もう誰も知らぬ」とだけ答えた。意味の分からない言葉を、意味の分からないまま、見届け人は千年言い続けてきたのだ。

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戦は昼すぎに決した。コボルトの最後の旅団長が倒れ、穴の丘の旗手は、自分の手で旗竿を抜いた。

「作法に従おう。我らの旗を、そなたたちに渡す」

ケンタウロスの王はその旗を受け取り、自分たちの砦の、自分たちの旗の隣に掲げた。風に鳴る二本の旗を見上げて、コボルトの子どもたちは泣くのをやめた。旗が掲げられている限り、一族は消えない。誰もがそう信じている。

エリンゲは、それを見届けて馬に乗った。

五日目の夜、街道沿いの宿で、行商人たちが噂をしていた。

「真珠の都の王さまは、王子を亡くされてから、お人が変わったそうだ」
「前は、戦などせず話し合えとおっしゃる方だったのにな」

エリンゲは杯を置いて、窓の外を見た。星が、少しも動かずにそこにあった。

旗を持たぬ旅人。手紙はそれしか教えてくれない。どこから来て、何を背負い、なぜ迎えねばならないのか。老人は、大事なことほど紙に書かない人だった。会えば分かる、ということなのだろう。

迎えに行き、連れて帰る。旗を持たない者には、旗を持たない者にしかできない務めがある。それだけを、エリンゲは知っていた。

七日目。峠を越えたところで、風が変わった。

潮の匂いに、火の匂いが混じっている。

エリンゲは馬を急がせた。眼下に、潮鳴りの村が見えた。岩の入り江に寄り添う、シーマンの小さな村だ。その浜を、牙をむいた旅団が埋めていく。太鼓が鳴る。オークだ。

火床の土地を失ったオークが、新しい住み処を探して海を渡ってきたという話は、宿でも耳にしていた。住む土地を求めるのは、恥ではない。だから彼らは、作法どおりに旅団戦を挑む。そして作法どおりなら、負けた村は旗を渡し、オークの下につく。

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村の本陣に、貝の紋の旗が立っていた。旗竿を握っているのは、白い髭の老いたシーマンだった。村の旗手だ。けれど、その体はもう、旗の重さを支えきれていない。

貝の紋の旗を握る、白い髭の老いたシーマンの旗手
潮鳴りの村の老旗手。

老旗手の前に、ひとりの旅人がいた。

見慣れない旅装だった。濡れた岩場に立っていても、足もとが少しもふらつかない。村の者でも、オークの者でもない。腰に旗はない。

――旗を持たぬ旅人。

エリンゲが浜へ駆け下りるより早く、老旗手が膝をついた。震える手が、旗竿を旅人の手へ押しつける。

「よそ者か。……頼む。この旗を持ってくれ。わしはもう、ダメだ」

エリンゲは、手綱を引いた。

旗を持たない者を迎えに来た。その旅人が、たった今、旗を受け取ろうとしている。

止めるべきか。止めれば、この村はオークの旗の下に入る。止めなければ――。

迷ったのは、ほんの一瞬だった。旅人の手は、もう旗竿を握っていた。

「旗手としてこの旅団を助けてほしい。……この危機を救ってくれるお前の名を、聞かせてくれ」

旅人が、名を告げた。

エリンゲは馬を降り、砂を踏んで、その前に立った。そして、七日のあいだ胸の内で用意してきた言葉を、半分だけ口にした。

「私は大魔道士エリンゲ。君を迎えにきた。君に、やってもらいたいことがある」

「……と思ったが、君は旗手になってしまったのか」

この続き、旅人が初めて旅団長を選ぶ旅団戦は、『背界の旅団』の物語 第1話「初陣」で遊べます。旅人の名前を決めるのは、あなたです。

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本記事は、私が制作した『背界の旅団』の物語 第一章の前日譚として書き下ろしたものです。アプリの物語では語られない場面で、登場する人物・場所はアプリの物語と同じです。

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